浮世絵系美人画家/日本画家・伊東深水の後継弟子【大竹五洋】公式ホームページ
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私と美人画・伊東深水との出会い

コラム


連載第二回

修業時代の大竹五洋私は小学校3年生の頃、雑誌の口絵に描かれていた美人画を見て興味を抱きました。その頃から「絵描きになりたい」という夢を持ち続けました。
25歳の時、画家になるために家族の反対を押し切って、作品を抱えて、歴史画の巨匠・安田靭彦先生の門を叩きました。安田先生は私の絵をご覧になって御指導を下さった後、「私より、美人画の伊東深水先生のほうが向いている」と、伊東深水先生に御紹介下さいました。
そして伊東深水先生の内弟子として入門が許され、13年間(1950〜1963年)、北鎌倉の師のもとで修行いたしました。
師からは、「五つの海(世界)をまたにかけて活躍が出来るように」と、「深水直系」を示す、さんずいが入った「五洋」の号を頂きました。
内弟子の私には師の存在は絶対であり、師匠のアトリエこそがすべてです。またその13年間、師のスケッチから本画に至る制作のほとんどに助手として携わっています。
師・伊東深水には多くの優れた門下生がいますが、自らの手で独り立ちをさせた弟子は、私以外は一人もいません。
「唯一残っている浮世絵系の画家として、一人はきちんとした後継者を育てなければならない」という、師匠としての伊東深水の思いもあり、1963年に、師匠の許可と後援で独立をしました。
しばらくは、師の指導のもとで日展に出品していましたが、1972年に師・伊東深水が死去されました。私は、師匠の遺志を受け継いでいましたので、無所属の道を選びました。
制作に行き詰まったときなど、不思議と師の姿が現れ、「先生のあの手法だ」と思い出させていただいてきました。師匠から受け継いだ技法を自分のものに昇華するには、修行に費やしたのと同じくらいの月日と努力が必要でした。
芸術家には、伝統を守りながら自己を表現するタイプと、それを破壊して別なものを生み出すことによって自己を表現するタイプがあると思います。私は前者です。迷うことなく、受け継いだ技法を誇りを持って守り、「私の美人画」を描いていきたいと決意しています。
私が伊東深水より教わり、私の信念としていることは、構図、色彩の重要性という基本の他、「絵には画品がなければならない」ということ、「絵は絵の具を塗るのではなく筆で描く」ということです。また、安田靭彦先生からは、絵を描くときはバックと物の境、空間のとり方が大切であることを教えていただきました。
思えば、美人画の二大巨匠、鏑木清方先生、伊東深水先生はともに鎌倉を終の棲家にしておられます。私も恩師等と同じ町に住み、美人画を描いていることに誇りを持っています。
(五洋)


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